『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』
子供の頃から1人でずっと本を読んで過ごしている事が多かった。
読む内容は主に人物の伝記物が多かった、あとは何かの物語とか、とにかく学校の図書館に置いてあった本を片っ端から読んでいた。
本は自分にとっては唯一の友達、そして自分を受け入れてくれる仲間だった。ドキドキしたり、楽しくなったり、悲しくなったり、自分の知らない事を沢山教えてくれる、そんな大切な存在。
先日、写真家の幡野広志さんの本『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』を読み終えた。
しばらく本を読む事をしていなかったため『最後まで読めるだろうか?』と不安になったけれど勇気を出して手に取った、どうしても読んでみたい内容だったからだ。
私が生まれ育った実家は色々と問題があり、ずっと生きづらさを感じていた。
私が実家を出るまで過ごしてきた家族との日々は色々あり過ぎるし、また一部記憶がゴッソリ抜け落ちてたりする事もあるので、此処には書かないでおく。
気付いた時には『出来損ないで生きる価値など無い劣等感の塊』みたいな人間となり、色んな事を諦めるようになる、そうなればなるほど段々と『生きづらさ』が加速していく、随分長い事苦しみ、こんな生きづらい人生ならば早く終わって欲しいと思っていたし
ずっとずっと孤独だった。
その上、私にとって唯一友達で仲間だった『本』はここ数年集中力がどんどん欠落していき、あんなに大好きだったのに文章が全く頭に入ってこない、ただただ文字を目で追うだけで精一杯となり、
何かにすがる事すら、諦めるしかなかった。
私は以前、ちょっとしたキッカケで幡野さんの個展『いただきます、ごちそうさま。』を見に行ってから幡野さんに興味を抱いた。写真家であり狩猟家であり、そして治らないガンを宣告された1人の人間である。
その個展で見た写真達は以前狩猟をしていた頃の写真で、見る人によっては残酷だと思う方も居るかもしれないんだけど。
私達人間は沢山の命をいただきながら生きている、という事を改めて考えさせられたし、こんなにも強烈にメッセージが伝わってくる写真があるなんて、と驚いた。
それに幡野さんの発信する言葉は誰にとっても非常に分かりやすく、所々にユーモアを感じさせながらも揺るぎないメッセージが込められていて、幡野広志という人は『表現者』なんだなぁと思う。
この本にはガン宣告をされた所から治療について、そして病気になる事によって家族との『ねじれ』が起こる事、そしてそれが患者にとって生きづらさに繋がる事、その親子関係のねじれは病気に限らず、いじめやLGBTや引きこもりなど、あらゆる事に絡んでいるという事。
『たとえ血の繋がった親でも、切っちゃっていいんですよ』『ぼくらはみんな、自分の人生を生きるために生まれてきたのだ』という言葉を目にした時には衝撃を受けた。今までそんな事を考えた事が無かった、否、そう思っていたとしてもそんな事を口にする事はタブーでしかなく、誰かに話す事は出来なかった、この親不孝もの、と非難されるのが当たり前だから。
でもこの本を読んだ時に、自分は自分の意思で人生を選択して良いんだ、そして、その権利があるんだ、という事が再確認出来て、私は物凄く安心したのだ。
大人になってバンドを始めて、実家から離れてからも日々色んな事と闘い、限界に達しそうな時にヨガと出会い、自分としっかり向き合う事を生まれて初めて知り、そして今。
フルタイムで働きながらヨガインストラクターの資格を取りながら今もヨガの勉強を続け、【野田サリー】【砂上の楼閣】【アナベル・リー】というバンドをやっている。周りからはそんなに色んな事をやってて大変じゃないの?よくやれるよね?等言われるし、実際忙しく葛藤にまみれ、悩み、信じられない位に混沌とした日々だけれど。
私は今やっと、今しか出来ない事を、自分の人生を自分の意思で選択し、自分の生きた証を残すために生きる事が出来ている気がする。
幡野さんの本を読んで、今の私は間違ってなかったとしっかりと背中を後押ししてもらえたから、私はこれからも私の人生を、生きる。
そしてここ数年、本を読む事がすっかり苦手になってしまったけれど、久し振りに本を読み終えた達成感が何より嬉しい。きっとまた何度でもこの本を読み返すだろう。
この本と出会えて良かった、
感謝。