思考回路断線中

ある時は【野田サリー、砂上の楼閣、アナベル・リー】という3つのバンドに所属するバンドマン。ある時は【RYT200】の資格を持つヨガインストラクターの卵。二進も三進も行かないながらも『今』という瞬間を生きるエツという1人の人間の人生模様を綴っています。

ありふれた日常

冬から春になりかけてる頃だったかな。

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(はい、こちらは11/3に行われる砂上の楼閣セットリストを大公開です怪しげなタイトルもありますが全て王道ポップな曲ですので色々想像して頂ければと思いますお時間ありましたら天王町スタジオオリーブまで是非に)

 

とある駅構内を歩いてたら60〜70代位のホームレスの方が隅っこに俯いたまま膝を抱えて座ってて。

 

その人の前には小さなお椀がちょこんと申し訳なさそうに置いてある。

 

中学生位の男の子達が5〜6人ギャーギャー騒ぎながら此方へやってきてそのホームレスの方を見るなり

 

『マジでえぇ〜働けよなぁぁ〜!!』

 

と笑いながら大声で言い、去っていった。

 

 

 

その方がホームレスになる迄にはきっと色んな事があっただろう、理由なんて知る由も無いんだがそんな事をわざわざ言わなくても良いだろうよと思った。

 

でも、

 

彼等はまだ子供だし遠い様で実は近いこれからの世界なんて知っている筈もなくそれ故に【人生の視野】なんて半径1メートル位なモンだろうしきっと彼等にはお父さんとお母さんそして兄妹なんかが普通に居て別にお金にも困ってないしエグいモノなんてまだ知らないし極々平凡だけど家庭に守られながら生きているつまり【ありふれた日常】の中に居るんだとしたら、そんな心無い言葉を放ってしまうのも分かるというか、幸せ以外の事をあまり知らないんだったら仕方がないのかもしれないな、と思った。

 

何十年後、彼等が大人になって嬉しい事も悲しい事も苦しみも絶望もあらゆる全てを知った頃にはきっとホームレスに放った言葉なんてとっくに忘れて自分も同じ様に冷たい地べたに膝を抱えて座り物乞いするかもしれないなんて微塵も思わないし想像すら出来ないだろう、実際はそうなる可能性は誰にでもあるんだけども。

 

しかし何故こんな特に行き着く先もない、答えも見つからない事をツラツラ書いているんだ自分、と、今思ってるんだけど、何となく書いておきたかったのだ、それは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もがき苦しみながらも好きな事が出来る今、という瞬間を忘れない為に。