思考回路断線中

ある時は【野田サリー、砂上の楼閣、アナベル・リー】という3つのバンドに所属するバンドマン。ある時は【RYT200】の資格を持つヨガインストラクターの卵。二進も三進も行かないながらも『今』という瞬間を生きるエツという1人の人間の人生模様を綴っています。

血湧き肉躍る

最近思う事。

 

先日ヨガティーチャートレーニング関連の飲み会の時に同期の女性と話してたら

 

『えっちゃんてさ、サバサバしてるんだけど実はかなり女性らしいよね。この同期の女子達ってみんな結構男らしいじゃない?多分この中で一番女性っぽいと思うよ』

 

と言われまして。

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(その時私が着ていた服がジョン・スペンサーのTシャツと黒のスキニーにライダース羽織ってて他のみんなの方がよっぽど女性らしい格好だったのでちょっと笑ってしまった)

 

これに限らず、ここ最近は特に色んな方からこんな風に言ってもらえる事が結構あって、えぇーどこが?と、正直ビックリしている。

 

 

ほぼバンドやヨガの事しか考えず、未来も過去も捨ててしまったこんな女子力のカケラも無いヤツなのに笑

 

 

そう言った『女性らしさ』というモノは昔から皆無だと思っているので何故なのか自分でもよく分からないんだけど。。

 

でも実は以前もそのように言われる事が多々あり其れが凄く嫌というか煩わしく感じる時期があってなるべく女性らしい服を避けたりしていた事がある、諸事情により特に10代20代の頃は女性らしい=性の対象という強烈な思い込みをしていた影響もあり。

 

 

うーん、、難しい。。

 

 

昔から性別や年齢に対し日本人は其処に凄く重きを置いているような傾向がある気がしていて、テレビを見る度に名前の横に年齢が表記されている事にずっと違和感を感じているし何かにつけて『いくつなの?』といちいち確認したり性別によって細々としょうもない線引きをするような文化が馬鹿馬鹿しい、勿論、そうせざるを得ない場面がある事も分かっているけれど。

 

 

『今という瞬間を生きる』という選択をして、だからこそ今の私は此処に立っている、単なる一人の人間、ただそれだけの事なのになぁって。

 

話が壮大になってきちゃったな、、確かに私は女性である事に間違いない訳だし女性らしいと言ってもらったりこんなヤツを女性として見てもらえるってのは有難い事なのかなぁともう少し気楽に捉えていれば良いのかもしれないね。

 

とにかく頑張ろう、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大好きなSebadohを聴いてたら俄然闘志が湧いてきたから、まだ大丈夫。