思考回路断線中

ある時は【野田サリー、砂上の楼閣、アナベル・リー】という3つのバンドに所属するバンドマン。ある時は【RYT200】の資格を持つヨガインストラクターの卵。二進も三進も行かないながらも『今』という瞬間を生きるエツという1人の人間の人生模様を綴っています。

『無料』という世界

先日ヨガ講習の休憩時間にて。

 

4月頭に全講習終了という事もあり、なかなか忙しくなってきた。60分テストクラスの事とか、あとは卒業後の進路の事とか。

 

最近はヨガクラス自主開催する人向けにフライヤーの作り方なんかもレクチャーして貰ってて、やはりバンドと同じ様に自分の『宣材写真』も当然必要になる訳で。

 

来週あたりに60分テストクラスの自主練を皆でやるらしく(私はレコ発なので不参加)その際に宣材写真を撮り合おう、という話が出ていた。

 

確かに最近のスマホでも相当良く撮れるだろう。でも個人的に思うのは宣材写真というのは非常に大事なモノで、ヨガ系統のフライヤーなら色味やイメージに相当気を使わないと集客が厳しくなるので、照明や背景をしっかり考慮しつつスマホで撮るより一眼レフでそれなりにちゃんと撮れる人に頼んで撮影した方が安心だよ、知り合いに写真やってる人やデザイン出来る人も居るから私はそういう人に頼むつもり、と話した。

 

『えー、そうなんだ!じゃあ来週、自主練の時にその知り合いの人に無料で撮ってもらえないかな?』

 

 

 

 

 

世の中には素晴らしい技術者が沢山居て、でも【タダでやってよ】【知り合いだしお金を払うってのもねぇ】みたいなこの【無料で当然】みたいな風潮は一体何なのか。

 

そうやって当然のように【無料】を要求する事で、素晴らしい技術者達の時間や生活やお金を奪って潰している事に、どうしてみんな気付かないのか。

 

写真に限らず、音楽制作や映像作家やイラストや絵画、そういったアート界隈に関してはどうして【無料】もしくは【安くしてよ】と要求するのか。

 

あなたたちにその、技術者達と同じような写真が撮れるのか?作品が作れるのか?

 

納得出来なかったので、私は『無料で撮ってもらえないかな?』と言った人にその事をしっかり話した。

 

その後はどうなったのかは知らない。

 

私は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちゃんとお金を払って素敵な宣材写真を撮ってもらおうと思います。